東京地方裁判所 平成5年(ワ)15921号 判決 1999年1月29日
東京都大田区北千束一丁目二四番三号
原告
川島英子
東京都中央区明石町七番一四号
原告
合資会社塩瀬総本家
右代表者無限責任社員
川島英子
右両名訴訟代理人弁護士
沼田安弘
同
宮之原陽一
同
杉山博亮
右両名訴訟復代理人弁護士
川西秀樹
右両名補佐人弁理士
神保欣正
東京都練馬区東大泉一丁目一五番一九号
被告
お菓子老舗塩瀬こと
五味阿つ
右訴訟代理人弁護士
日野久三郎
同
関口享
同
津村政男
右補佐人弁理士
秋元輝雄
主文
一 被告は、菓子の広告に別紙第二目録(1)ないし(4)記載の各標章を、菓子の包装に別紙第二目録(2)、(3)、(5)ないし(9)記載の各標章を、菓子の取引書類に別紙第二目録(3)、(8)記載の各標章を、いずれも使用してはならない。
二 被告は、茶の包装に別紙第二目録(7)、(9)記載の各標章を使用してはならない。
三 被告は、第一、二項記載の各標章を付した広告(のれん、しおりを含む。)、菓子の包装、取引書類、茶の包装を廃棄せよ。
四 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同旨
第二 事案の概要
本件は、被告が、別紙第二目録(1)ないし(9)記載の各標章(以下、各標章を順に「被告標章(1)」ないし「被告標章(9)」といい、これらを合わせて「被告標章」という。)を使用しているところ、被告標章の使用は、原告川島英子(以下「原告川島」という。)の有する商標権、及び原告合資会社塩瀬総本家(以下「原告会社」という。)が設定を受けた専用使用権を、それぞれ侵害する行為であるとして、原告らが被告に対し、商標法三六条、三七条に基づき、被告標章の使用の差止め及び被告標章を付したのれん等の廃棄を請求した事件である。
一 前提となる事実(証拠を示した事実を除き、当事者間に争いはない。)
1 原告川島の商標権
(一) 渡辺亀次郎(以下「亀次郎」という。)は、別紙商標権目録一記載の商標権(以下「本件商標権一」といい、その登録商標を「本件登録商標一」という。)の商標権者であった。
(二) 亀次郎は、昭和二七年二月二〇日、別紙商標権目録二及び三記載の商標権(以下、それぞれ「本件商標権二」「本件商標権三」といい、その登録商標をそれぞれ「本件登録商標二」「本件登録商標三」という。)につき登録出願をした。
(三) 亀次郎は、昭和二八年四月三〇日死亡した。亀次郎の相続人は、妻の渡辺よし(以下「よし」という。)、亀次郎とよしとの間の子である原告川島(長女)、光子(二女)、日出男(長男)、亀次郎と先妻渡辺タネ(以下「タネ」という。)との間の子である貫治(二男)、愛子(長女)、被告(二女)、房枝(三女)、富美子(四女)であった。
(四) 本件商標権一については、昭和二八年七月八日、相続を原因として亀次郎からよしへ移転登録がされている。また、本件商標権二及び三については、同年五月一八日に亀次郎名義でいったん登録がされた後、同年七月八日、相続を原因としてよしへ移転登録がされている。
(五) 昭和五五年二月一二日、よしが死亡し、原告川島が単独相続した(原告川島の相続につき、甲三六)。本件商標権一ないし三について、昭和五五年六月九日、相続を原因として、よしから原告川島へ移転登録がされている。
(六) 原告川島は、別紙商標権目録四及び五記載の商標権(以下、それぞれ「本件商標権四」「本件商標権五」といい、その登録商標をそれぞれ「本件登録商標四」「本件登録商標五」という。以下、本件各商標権を合わせて「本件商標権」、本件各登録商標を合わせて「本件登録商標」という。)の商標権者である。
2 原告会社の実施権
原告会社は原告川島との間で、本件商標権一ないし三及び五について平成五年一二月七日専用使用権の設定を受け、平成六年三月七日、その旨登録がなされている(甲四三ないし四七、原告川島本人)。
3 被告の行為
被告は、<1>菓子の販売に際し、被告標章(1)を付したのれんを揚げて広告をし、被告標章(2)ないし(4)を付したしおりを使用して広告をし、被告標章(7)及び(9)を印刷した包装箱を使用し、被告標章(2)、(3)及び(5)ないし(8)を印刷した包装紙を使用し、被告標章(3)及び(8)を付した領収書等の取引書類を使用し、<2>茶の販売に際し、被告標章(7)及び(9)を印刷した包装箱を使用している。
二 争点
1 被告標章は、本件登録商標と同一又は類似であるか否か。
(原告らの主張)
被告標章(1)は、本件登録商標一と同一又は類似である。
被告標章(2)は、要部が「塩瀬」にあり、「しおせ」の称呼を生じる。よって、同標章は、「しおせ」の称呼を生じる本件登録商標一ないし三と類似である。本件登録商標三の要部は「塩瀬」部分であると解すべきである。
被告標章(3)及び(5)は、本件登録商標四と同一又は類似である。
被告標章(4)は、本件登録商標三と類似である。
被告標章(6)は、本件登録商標一と同一又は類似である。
被告標章(7)は、本件登録商標一ないし三及び五と類似である。
被告標章(8)は、本件登録商標一ないし三と変である。
被告標章(9)は、要部が「志ほ〓」にあり、「しおせ」の称呼を生じる。よって、同標章は、本件登録商標一ないし三及び五と類似である。
(被告の反論)
原告の主張はいずれも争う。
2 亀次郎の死亡により、被告は、相続分にしたがって、本件商標権一並びに本件商標権二及び三の出願中の地位を共同相続したか。
(被告の主張)
亀次郎が有していた商標権は、亀次郎の死亡により、よしが単独相続したのではなく、法定相続人全員が共同相続した。したがって、被告も共同相続人として、その相続分に応じて本件商標権一並びに本件商標権二及び三の出願中の地位を承継した。
確かに、本件商標権一ないし三は、よしが単独相続したとして登録されている。しかし、<1>戦災により、亀次郎を戸主とした被告の記載のある戸籍は消失し、右戸籍は再製されなかったこと、貫治を戸主とする戸籍は再製されたが、右戸籍には被告の記載がないことに照らすと、特許庁は、被告が亀次郎の共同相続人の一人であることを確認しないまま、亀次郎からよしへの移転登録手続を採った蓋然性が高いこと、<2>特許庁は、昭和二八年当時、相続を原因とする移転登録手続を採る際、そもそも、法定相続人全員の戸籍謄本や遺産分割協議書等の書類を添付を求めないことがあったことに照らすと、亀次郎からよしへ移転登録がされている事実があったとしても、共同相続人間で遺産分割協議等がされたことを推定し得ることにならない。
(原告らの反論)
昭和二七年五月ころ、よしが、被告らタネの子供達に、一人当たり二〇万円を支払って、右両者間には、被告らが商標権その他塩瀬の営業について何ら権利を主張しないという内容で協議が成立した。その結果、本件商標権一並びに本件商標権二及び三の出願中の地位は、よしが単独で相続した。
本件商標権一ないし三の登録原簿上では、これらの権利をよしが単独で相続したとして、よし名義に移転登録がなされている。このような登録がなされるためには、登録手続の際、特許庁に対し、よしが単独で相続したことを証明する遺産分割協議書等の書面を提出したはずであり、遺産分割協議が成立していることを推定できる。
なお、被告を含む亀次郎の相続人全員がその相続分に応じて本件商標権一ないし三を共有するという主張は、登録主義を採っている商標法の趣旨に反する。
3 被告は、自己の名称ないし商号を普通に表示するものとして、被告標章を使用しているといえるか。
(被告の主張)
被告は、「塩瀬総本家」については昭和二九年ころから、「宗家塩瀬」については昭和三一年ころから、いずれも現在までその表示を使用しており、それらは既に被告の個人営業の主体を表す名称ないし通称となっている。被告は、「塩瀬総本家」、「宗家塩瀬」という自己の名称ないし商号を、普通に用いられる方法で表示しているだけであるから、本件商標権の効力はこれに及ばない。
(原告らの反論)
被告が個人営業の主体を表す表示として使用しているのは、「五味阿つ」であり、「塩瀬総本家」「宗家塩瀬」は、被告が恣意的に使用する別称である。また、被告が商号として「塩瀬総本家」及び「宗家塩瀬」につき、商標法二六条一項の適用を主張するのであれば、商号単一の原則に反し、失当である。さらに、被告標章(2)、(4)、(7)ないし(9)における「塩瀬総本家」「宗家塩瀬」「宗家志ほ〓」の文字の使用態様は、その書体及び大きさからみて、明らかに商標としての使用であり、商標法二六条一項一号の要件を欠く。
4 被告な、先使用により被告標章を使用する権利を有するか。
(被告の主張)
被告の直系先祖らによって、「塩瀬」の名称はその屋号及び標章として使用され続け、明治以降は、現在の東京都千代田区有楽町において、「塩瀬總本家」又は「塩瀬総本家」の名称で、和菓子の製造販売をしてきた。亀次郎が隠居し、貫治が家督相続した昭和一八年当時、被告は貫治や姉妹らと協力して有楽町の塩瀬総本家の営業を続け、被告標章を使用していた。したがって、被告は、本件商標一の出願日である昭和二四年二月一八日より前から被告標章を使用しているので、商標法三二条の規定する先使用により被告標章を使用する権利がある。
(原告らの反論)
被告の主張は争う。
5 原告の請求は、信義則違反ないし権利の濫用に当たるか。
(被告の主張)
被告は、被告標章(1)及び(3)ないし(6)を、タネ死亡後貫治らと共同して使用してきた。昭和三一年春ころからは、被告標章全部を使用している。しかも、被告は、被告標章を、「塩瀬總本家」の商号による菓子舗の営業と一体として、タネから承継したものと信じ、善意無過失で使用し始めたものである。原告らは、遅くとも昭和六一年には被告が被告標章を使用していることを知りながら、平成五年の夏まで異議を述べず、放置していた。
したがって、平成五年に、原告らが、本件訴訟を提起し、被告がその登録をしていないことを奇貨として、差止めを請求するのは、信義則に反し、権利濫用に該当する。
(原告らの反論)
被告が被告標章を使用していたことにより、被告標章が、被告の商品を表示するものとして、需要者に周知、著名になっていたとはいえない。他方、原告会社が本件商標権を使用した態様は、大規模かつ継続的であり、積極的な宣伝活動も行っているので、本件登録商標は、原告会社の商品を表示するものとして、需要者に周知、著名となっている。
よって、本件差止請求は、被告の被告標章使用行為によって、本件登録商標の顧客吸引力ないし原告会社の業務上の信用が侵害されることを防止すること、原告会社の商品と信じて被告の商品を購入してしまう需要者を守るためであることが明白であり、信義則違反、権利濫用には該当しない。
原告らは、本件商標権を保護するため、たびたび訴訟を行ってきており、被告に対しても、被告標章の使用を容認していたことはない。
6 被告は、本件商標権の通常使用権を時効取得したか。
(被告の主張)
被告は、遅くとも昭和三一年春ころから現在に至るまで、「塩瀬総本家」の商号と「宗家塩瀬」の屋号を使って、菓子類の製造販売の営業を始め、以後現在まで、被告標章を、自己のためにする意思をもって、善意無過失平穏公然に使用し続けている。よって、被告は、本件商標権の通常使用権を、被告標章の範囲で時効取得している。
(原告らの反論)
被告は、昭和三一年以降現在まで営業を継続しているとはいえず、昭和六三年二月一七日に営業を始めたに過ぎない。
被告は、本件商標権の通常使用権を自己のためにする意思をもって行使していたとはいえない。また、被告の被告標章の使用行為には、本件商標権の使用許諾を受けているという意思に基づいているということが、客観的に表現されていない。
通常使用権の範囲は、登録商標と同一の商標を使用する権利に限られ、類似商標について通常使用権の設定はできない。被告標章(2)及び(7)ないし(9)については、本件登録商標と同一の商標ではなく、類似範囲に属する商標にとどまるから、このように、商標法上設定することが不可能な類似商標についての通常実施権につき、取得時効が成立する余地はない。
第三 争点に対する判断
一 争点1(被告標章と本件登録商標との類似性)について
1 被告標章と本件登録商標の類否の判断は、以下のとおりである。
(一) 被告標章(1)と本件登録商標一と対比すると、縦書きか横書きかの点が相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(1)は本件登録商標一と類似する。
(二) 被告標章(2)と本件登録商標一とを対比すると、「瀨」の文字が旧字表記か新字表記かの点、前者には「宗家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(2)は本件登録商標一と類似する。
(三) 被告標章(3)と本件登録商標四とを対比すると、黒抜きか白抜きかの点、後者には登録商標との記載が付加されている点において相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(3)は本件登録商標四と類似する。
(四) 被告標章(4)と本件登録商標三とを対比すると、「総」の文字が新字表記か旧字表記かの点で相違するが、その他の点で相違はない。また、被告標章(4)と本件登録商標一とを対比すると、字体において若干異なる点、前者には「総本家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(4)は本件登録商標三、一と類似する。
(五) 被告標章(5)と本件登録商標四とを対比すると、後者には登録商標との記載が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。したがって、被告標章(5)は本件登録商標四と類似であると解される。
(六) 被告標章(6)と本件登録商標一とを対比すると、字体において若干異なるが、その他の点で相違はない。被告標章(6)は本件登録商標一と類似する。
(七) 被告標章(7)と本件登録商標一とを対比すると、字体において若干異なる点、横書きか縦書きかの点、前者には左側に小さく「宗家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。また、被告標章(7)と本件登録商標五とを対比すると、字体において若干異なる点、前者には小さく「宗家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(7)は本件登録商標一、五と類似する。
(八) 被告標章(8)と本件登録商標一とを対比すると、字体において若干異なる点、横書きか縦書きかの点、前者には上段に小さく「宗家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(8)は本件登録商標一と類似する。
(九) 被告標章(9)と本件登録商標二とを対比すると、字体において異なる点、「せ」の文字が旧字表記か新字表記かの点、前者には右上に小さく「宗家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。被告標章(9)は本件登録商標二と類似する。
また、被告標章(9)と本件登録商標五とを対比すると、用いた文字及び字体において異なる点、横書きか縦書きかの点、前者には小さく「宗家」が付加されている点が相違するが、その他の点で相違はない。右の点に後記二及び四において認定した原告ら及び被告の各営業規模、使用態様その他の事情を併せて考慮すると、被告標章回は本件登録商標五とも類似する。
2. 本件商標権一ないし四の指定商品には菓子が含まれていることから、被告が菓子の販売に関して被告標章(1)ないし(9)を使用することは本件商標権一ないし四を侵害し、また、本件商標権五の指定商品には茶が含まれていることから、被告が茶の販売に関して被告標章(7)及び(9)を使用することは、本件商標権五を侵害する。さらに、それぞれの登録商標権について設定された専用使用権を侵害する。
二 争点2(被告の共同相続)について
1 前記事実及び証拠(甲六、八、一一、二六(枝番号の表示は省略する。以下同様である。)、二八、三六、四二、四八、四九、乙三、七、八、一三、六八、六九、八五、八六、原告会社代表者兼原告川島本人、被告本人)によると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(一) 被告の先祖は、現在の東京都千代田区有楽町で、塩瀬総本家の屋号で和菓子の製造販売を行っていた。亀次郎は、塩瀬總本家の奉公人であったが、明治三九年に被告の母であるタネと入夫婚姻し、明治三九年に家督相続して、亀次郎夫婦が塩屋總本家の営業を承継した。昭和八年にタネが死亡し、昭和一一年亀次郎はよしと婚姻した。
昭和一八年に亀次郎は隠居して分家し、被告の兄である渡辺貫治(以下「貫治」という。)が家督相続した。
(二) 亀次郎は、昭和一五年に、現在の原告会社の本店所在地に合資会社京橋塩瀬を設立して、和菓子の製造販売を始め、昭和二四年に本件商標権一の、昭和二七年に本件商標権二及び三の商標登録出願をし、本件登録商標一ないし三を使用して、営業を行った。なお、昭和二五年に、合資会社京橋塩瀬は合資会社塩瀬総本家に商号変更された(以下「旧会社」という。)。
(三) 亀次郎は、昭和二八年四月三〇日に死亡し、よしが旧会社の無限責任社員となった。亀次郎は、生前から、本件商標権一並びに本件商標権二及び三の出願中の地位については、よしに譲ろうと考え、贈与契約公正証書を作成していた。よしは、同年七月三日、本件商標権一ないし三につき相続による商標権移転登録の手続を行い、いずれも同月八日に亀次郎からよしへの移転登録を了した。
(四) 旧会社は、昭和三四年に解散し、よしは、塩瀬総本家の商号で個人で和菓子の製造販売を継続していたが、昭和三六年原告会社を設立し、原告会社が右営業を引き継ぎ、本件登録商標一ないし三を使用して、和菓子一の製造販売を行ってきた。よしが昭和五五年に死亡した後は、原告川島が原告会社の無限責任社員となっている。
(五) 原告会社は、多額の経費をかけて広告宣伝を行い、積極的に営業活動を行っており、昭和五五年以降、毎年七億円ないし一〇億円以上を売り上げ、現在、そごう、三越、高島屋などの百貨店に売店を出店しているほか、宮内庁を初め、東京都内及びその周辺地域に所在するホテル、百貨店、結婚式場等と取引がある。
(六) よしと原告会社は、昭和四六年、貫治の息子である渡辺治彦(以下「治彦」という。)に対し、本件商標権一及び二等に基づき、「宗家塩瀬」、「塩瀬」等の営業表示及び標章の使用差止めを求めて、訴えを提起し、昭和四八年四月二三日、原告ら勝訴の判決が出されている。また、原告会社は、昭和六一年、安斉英雄(以下「安斉」という。)に対し、本件商標権一の専用使用権に基づき、「塩瀬」の標章の使用差止めを求めた商標使用差止等仮処分を申請したが、同年九月、右仮処分手続きにおいて、利害関係人として参加した治彦及び安斉らが、「塩瀬」の商標及び「宗家塩願」の商号を使用しない旨の和解が成立した。その他、原告会社らは、塩瀬の商号ないしは標章を使用している者に対し、使用禁止等を請求して訴訟を提起するなどして、「塩瀬」の商標等の保護に努めている。
(七) なお、亀次郎からよしへの移転登録手続が行われたことにつき、原告川島は、よしが、被告らタネの子供達に対し、一人当たり二〇万円を渡して、被告らから、本件商標権一ないし三に関する権利につき、被告らが権利を主張しない旨の了解を得た旨供述する(甲三六、原告会社代表者兼原告川島本人)。
2 右認定した事実及び原告川島の供述を総合すると、本件商標権一及び本件商標権二、三の出願中の地位は、亀次郎の死亡により、よしが単独で取得したものと認めることができる。
すなわち、<1>亀次郎は、生前から、本件商標権一並びに本件商標権二及び三の出願中の地位について、よしに譲渡しようと考え、贈与契約公正証書まで作成していたこと、よしは、亀次郎の死亡後、直ちに旧会社の無限責任社員となり、一貫して、和菓子の製造、販売を継続していること、<2>よしは、亀次郎の死亡の直後に、本件商標権一ないし三につき相続による商標権移転登録の手続を行い、その旨の移転登録を了しているが、右手続きについて、他の親族から異議が述べられた形跡はないこと、<3>原告会社は、設立以来、本件登録商標一ないし三を使用して、大規模な営業活動を展開し、宣伝広告一をしており、また、本件商標権を根拠に、亀次郎の法定相続人の子に対し、商標使用差止等の訴訟を提起したことがあるが、それらの訴訟においても、よしが、本件商標権一ないし三に関する法的地位を単独で取得したものではないとの主張がされたことは一切ないこと等の事実経緯によれば、本件商標権一ないし三に関する法的地位は、相続人間で協議がされた上、よしが、相続により単独で取得したものと認められる。
したがって、被告も共同相続人として、相続により、本件商標権を取得した旨の被告の主張は理由がない。
三 争点3(商標法二六条一項一号の適用)について
被告の母であるタネは、昭和五年、「塩瀬總本家」の商号を登録したこと、被告は、菓子等の製造、販売に関する営業を行うに当たり、右商号を営業表示として使用したことが窺われる(乙一、二、被告本人)。
しかし、被告標章(1)、(2)、(4)及び(6)ないし(9)の使用態様については、しおりの上方、包装箱や包装紙の中央等、比較的目立つ位置に、需要者の注意を惹きやすい字体、文字の大きさで表示されて(甲一五ないし二五、乙一五、一六、二六ないし三三、三六ないし四〇、四七ないし四九、五二、六〇ないし六六、七〇ないし八〇)営業主体の表示としては極めて不自然な態様であることに照らし、前記二において認定した原告の営業規模及び状況をも勘案すると、右使用態様をもって名称等の普通に用いられる方法と解することはできない。また、被告標章(3)及び(5)については、そもそも被告の名称とは認められない。
したがって、被告の主張は採用しない。
四 争点4(先使用)について
1 証拠(甲二九ないし三五、三七、三八、四〇、乙九、一五ないし二〇、二二ないし六六、七〇ないし八〇、八三、八四、八六、被告本人)によれば、次の事実が認められ、これを覆す証拠はない。
(一) 昭和一八年当時、被告の兄弟のうち貫治が中心となって、有楽町において「塩瀬總本家」の名称で、和菓子の製造販売を行っていたが、太平洋戦争が始まり、有楽町における営業活動を中断した。愛子及び貫治は、昭和二四年ころに至って、千葉県内で、「塩瀬総本家」の名称で(なお、新字体にした時期は明らかでない。)、和菓子の製造販売を再開し、被告もこれを手伝った。
(二) 被告は、愛子が死亡した後、昭和三年ころから、東京都武蔵野市内において「宗家塩瀬」の名称で店舗を構えて和菓子の製造販売を始め、被告標章を使用して、営業を行ったことがあった。その後、被告は、右店舗での営業を止め、昭和四六年ころには、東京都調布市内において店舗を構えずに、和菓子の販売を行ったり、昭和五一年ころには、東京都保谷市内の工場で、治彦、安斉らに、和菓子の製造を委託するなどして、和菓子を販売したりした。また、昭和四七年から昭和五六年までは、東京都板橋区内において、テナントとして出店をしたことがあるが、その営業規模、態様については明らかでない。
(三) 被告は、昭和六一年ころから、娘の居住地である東京都練馬区東大泉を連絡場所として、無店舗で営業を行ったりしたが、昭和六三年に、同区東大泉に宗家塩瀬の店舗を開き、現在に至るまで、被告標章を使用して、和菓子の製造販売を行っている。なお、平成四年ころからは、日本航空関連の通信販売で「塩瀬」の標章を使用して、和菓子の広告、販売も行っている。
(四) なお、「宗家志ほま〓については、本件商標権二の出願された昭和二七年までは使用されていない。さらに、「宗家塩瀬」、「宗家志ほ〓」については、本件商標権五の出願された昭和五九年当時、被告の販売するお茶の商標として周知であったと認めるに足る証拠はない。
2 右設定した事実経緯によれば、昭和二四年ころから、被告の兄弟である貫治及び愛子が「塩瀬総本家」の名称で、昭和三一年ころからは、被告が「宗家塩瀬」の名称で、それぞれ被告標章を使用して、和菓子の製造販売活動を行っているが、その営業規模、態様は明らかではないこと、被告は、店舗等を移転したり、店舗を設けなかったりしていることに照らすならば、被告が、本件商標権一の出願日である昭和二四年二月一八日より前から現在に至るまで、「塩瀬総本家」、「宗家塩瀬」の商標を継続して使用していたものと認めることはできない。
したがっで、先使用に関する被告の主張は、その余の点を判断するまでもなく失当である。
五 争点5(信義則違反、権利濫用)について
1 証拠(甲一二、乙七、八、八六ないし八八、九〇、被告本人)によれば、次の事実が認められ、これを覆す証拠はない。
原告会社で就業し、後に独立した者が中心となり(原告会社も含め)、会員相互の親睦等を目的として、塩瀬会が設けられていたが、原告会社は、塩瀬会の会員に対しては、「塩瀬」の商号、標章の使用を許諾することがあった。被告は、前記のとおり、昭和三年こら、東京都武蔵署市内で「宗家塩瀬」の名称で店舗を構えて、被告標章を使用して、和菓子の製造販売をしたが、開店の際には、塩瀬会から、祝儀として塩瀬会の会旗が送られたり、昭和三四年ころには、被告の夫も塩瀬会の集まりに出席したことがあった。もつども、被告は塩瀬会の構成員ではない。また、原告らは、遅くとも前記安斉に対し仮処分申請をした昭和六一年ころには、被告が和菓子の販売に「塩瀬」ないしはこれを含んだ標章を使用していることを知ったものと推認されるが、原告らが被告に対し、「宗家塩瀬」等の標章使用差止を求める通告書を送付したのは、平成五年七月に至ってからであった。
2 しかし、右認定事実を前提としても、なお、原告らが被告に対し、被告標章の使用の差止等を訴求することが、信義則違反ないしは権利の濫用に該当すると認めることはできない。
すなわち、昭和六一年当時、被告は、店舗を構えずに営業を行っており、その営業規模及び営業形態は必ずしも明らかでないこと、その後、被告が店舗を設けて「宗家塩瀬」の名称を使用して、和菓子の製造販売を行っていることを、原告らにおいて知るに至ったのは、平成二年になってからであること(甲三六、原告川島本人)に照らすと、原告らが、長期間にわたり、被告の営業を黙認、放置していたものということはできず、原告らの本件請求は、一信義則違反ないしは権利の濫用に当たると解することはできない。
六 争点6(通常使用権の時効取得)について
被告は、被告標章を使用したことにより、本件商標権の通常使用権を時効取得した旨主張する。
ところで、商標権の通常使用権について、取得時効が成立する余地があるか否かの点の検討は、さて置くが、仮に、取得時効が成立する余地があるという見解を採った場合であっても、「被告が自己のためにする意思をもって、本件商標権の通常実施権を行使した」というためには、被告が、使用権を行使するに当たって、商標権者ないし専用実施権者から許諾を受けた等の客観的、外形的な行為を表示したといえることが必要であって、ただ単に、標章を使用したという事実があったのみで足りると解すべきではない。
前記認定のとおり、被告は、昭和三一年ころから、東京都武蔵野市内において「宗家塩瀬」の名称で店舗を構えて和菓子の製造販売を始め、被告標章を使用して、営業を行ったものといえるが、右事実のみでは、本件商標権の通常使用権を自己のためにする意思をもって行使していたとはいえない。
よって、被告のこの点の主張は失当である。
七 その他、被告はるる主張するが、いずれも採用の限りでない。以上のとおりであり、原告の請求はいずれも理由があるので、主文のとおり判決する。なお、本件に顕れたすべての事情に照らすならば、仮執行の宣言をすることは相当でない。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 八木貴美子 裁判官 沖中康人)
商標権目録
一 登録番号 第三九二八四三号
出願日 昭和二四年二月一八日
登録日 昭和二五年一〇月三八日
更新登録日 昭和四六年五月一三日
更新登録日 昭和五六年三月三一日
更新登録日 平成二年一〇月二九日
指定商品 旧々第四三類 菓子及び麺ぽうの類
登録意匠 別紙第一目録(1)記載のとおり
二 登録番号 第四二五三八七号
出願日 昭和二七年二月二〇日
登録日 昭和二八年五月一八日
更新登録日 昭和四八年一二月二五日
更新登録日 昭和五八年五月二〇日
更新登録日 平成五年六月二九日
指定商品 旧々第四三類 菓子及び麺ぽうの類
登録意匠 別紙第一目録(2)記載のとおり
三 登録番号 第四二五三八八号
出願日 昭和二七年二月二〇日
登録日 昭和二八年五月一八日
更新登録日 昭和四八年一二月二五日
更新登録日 昭和五八年五月二〇日
更新登録日 平成五年六月二九日
指定商品 旧々第四三類 菓子及び麺ぽうの類
登録意匠 別紙第一目録(3)記載のとおり
四 登録番号 第一七七五四九二号
出願日 昭和五七年一一月二九日
登録日 昭和六〇年五月三〇日
更新登録日 平成七年一一月二九日
指定商品 旧第三〇類 菓子、パン
登録意匠 別紙第一目録(4)記載のとおり
五 登録番号 第一九六九二七六号
出願日 昭和五九年一一月一九日
登録日 昭和六二年七月二三日
更新登録日 平成九年八月五日
指定商品 旧第二九類 茶、コーヒー、ココア、清涼飲料、果実飲料、氷
登録意匠 別紙第一目録(5)記載のとおり
第一目録(1)
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第一目録(2)
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第一目録(3)
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第一目録(4)
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第一目録(5)
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第二目録(1)
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第二目録(2)
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第二目録(3)
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第二目録(4)
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第二目録(5)
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第二目録(6)
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第二目録(7)
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第二目録(8)
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第二目録(9)
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